CRAZY DAYS!

コペンハーゲンに留学中の日本人大学生のブログ。アイデアを客体化させる場所。

危機感、そして情報収集力と思考へ

先日、フランスの首都パリでテロが起こった。

今年の1月7日にパリで起こったシャルリー・エブド襲撃事件とそれに派生して2月14日にコペンハーゲンで起こった銃撃事件を思い出させる。



ヨーロッパは地理的に様々な国と陸続きであり、中東ともつながってアフリカとも距離が近い。そして、ユーロ圏の中ではヒト・モノ・カネが流動的で、これらが容易に国境を越えることができる。日本にいた時に比べて明らかに、物理的(地理的)にも心理的にも他の国との近さを感じている。

僕自身日本にいた時から、SNSを通して国際情勢を日英両方でチェックしていたのだが、どうもピンとこなかった。当事者感覚が全く無かったからであろう。しかしながら、数年前に比べ外国人の友達が増えたのと、今自分がデンマークという国に住んでいるということで、日本の外で起こっている大きな出来事が他人事ではない。


本題はここから。

先日のテロ受けて、FaceBook上では多くの人がプロフィール画像トリコロールに変えている。僕がここで良い悪いを論じる権利はないし、そうするつもりもない。しかし、一体どれくらいの人がフランスに関係なく「テロ自体」について真剣に考えているのだろうかという疑問は拭えない。フランスという国やその国の友人に特別な思い入れや亡くなった方々に心の底から追悼の意を示したいという人もいるだろう。それは、「個人の自由」言葉で片付けてしまえばそれまでなのかもしれないが、残念ながら、テロや銃撃で苦しんでいる国はフランスだけではないのを知っておかなければならないし、事態は甘くない。

11月12日、レバノンのベイルート南郊外ブルジュ・バラジネで起こった爆弾テロによって、37名が死亡,181名以上が負傷している。他にもイラクやシリアにも日々こうしたテロは日常的に起こっている。言わずもがな、パリで起こったこともしっかりと目を向けなければならないが、これら国の実情が大々的に報道されず、ヨーロッパやアメリカでのテロに人々や知識人の関心の多くが行き、その他を一瞥さえしないことに違和感を持たずにはいられない。FBでフランスのようにイラク、シリア、レバノンの事が大きく報じられない、話題にされないのはなぜ?フランスは大国だから?まさか、国や人の命に優劣をつけてないだろうな?だとしたら、僕はそいつらを徹底的に糾弾する。


以前にも、アメリカのLGBTの件でFB上で人々のプロフィール画像は「レインボー」で溢れたが、あの時からそれをした人のうち、どれくらいの人がLGBTについて知識や関心を持ち、問題を様々な角度見てみようと試みた人がいるのか。今回の件にしてもあまりにも「テロ自体」に全くの意見や関心を持たない人が多い気がしてならない。

画面をタッチする、またはマウスひとつで無批判的に示す安っぽい哀悼ほど、フランスやレバノンだけではなくテロや銃撃でなくなった人に対して侮蔑的なことはないように感じる。何度も言うが、事態は甘くない。


では、どうしなければならないのか。

悲しいかな、一人ひとりは何の力も持ち得ない。僕は自分自身の限界や無力感を感じている。しかしながら、SNS上に溢れる大量の情報を取捨選択し、分析することはできる。もし、これを読んでいるあなたが日本語以外の言語を話すことができるならば、日本語で書かれた内容と外国のそれを比較することができる。就中、英語が理解できるのならば、国際情勢を把握する上で良きツールとなるだろう。その上で、普段からメディアリテラシーをしっかりと持ち、触れた情報から「自分はどう考えるか」としっかりと思考する必要がある。さもなければ、情報発信者やSNSに良いように踊らされ、いざ自分が危機に直面した時に冷静な思考や判断をすることが一層困難になる。


銃撃事件が今年2月に発生した都市に現在暮らしているが故、こんなことを考えられずにいられなくなった。


普段に比べて、昨日のコペンの空は穏やかだった。この空の向こうで多くの人が亡くなり、苦しんでいることを考えても彼らのために自分は何もできない。敗北感さえ感じる。でも、「知る(情報収集)」、「思考する」ということは続けていきたい。

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