CRAZY DAYS!

コペンハーゲンに留学中の日本人大学生のブログ。アイデアを客体化させる場所。

受け容れるということ

いつの間にかに11月に突入。コペンでの生活も慣れてきた。


1ヶ月以上前にアップロードしたストレスとホームシック - CRAZY DAYS!という記事を自分で読んでみた。


今はすごく気持ちが楽になって、ものすごく当時の状況を俯瞰(ふかん)できるから、読みながら思わず「ふふっ」ってなってしまった。そうは言っても、9月は本当に苦しかった。滞在期間が長くなってきて、いわゆる「お客さん(観光客)的な感情」というものがどんどん薄れてくるから、コペンハーゲンの悪いところだけが目について、安易に日本の良いところとデンマークの悪いところを比較したり、ほんの些細なことにイライラしていた。メール、チャット、そしてスカイプで僕の相談に乗ってくださった皆様ありがとうございました。


僕を悩ませた要因が主に3つあって...

1つ目、コペンハーゲンの天気の悪さ。

コペンハーゲン(多分、デンマーク全体)は天気が非常に変わりやすく、朝晴れていると思ったら昼にいきなり雨が降り出し、このまま天気悪いだろうなと思ってたら夕方晴れ出すし。10月の上旬くらいからコペンハーゲンの空はずっとグレー。晴れる日なんて少ないから、淀んだ空を毎日見ていてあまり良い気持ちになれなかった。おまけに、日照時間がどんどん短くなってきて、太陽の光をあまり浴びることができない。


2つ目、行政システムの遅さ・いい加減さ

デンマーク国民やこの国に在留する外国人にはCPRナンバーとEUレジデンスカード(日本でいうマイナンバー的なやつ)が発行される。日常生活において様々なところで提示をもとめられ、例えば、銀行口座を開設する場合や、ジムの会員になる時でさえもそのカードが見せないといけない。カードの手続きにだけに1時間半(友達は5時間)かかり、カード自体がなかなか配達されないという事態に見舞われて、スマホの契約ができなかったし、当時体調がかなり悪かったのにも関わらず、病院にさえも行けなかった。ちなみに未だ、EUレジデンスカードの方は配達されていない笑


最後に、寮

今住んでいる寮は、キッチン、トイレ・シャワー、ベッドルーム全てがシェアルーム。家賃が他の物件に比べて安買った(それでも約5万円)という理由でここを選んだんだが、なんせ全てシェアということでプライベートスペースがない。ルームメイトは幸いに同じ大学留学に来ている良い奴だが、彼とのあまりにもライフスタイルが違いすぎて、「12時就寝7時起床」の生活を日本で送っていた僕には、彼が起きている間(深夜2時半)は音楽の音漏れ、彼の立てるsteppingやパソコンのキーボードの音で寝ることができないし、特に水金にある朝8時からある授業に出席している時なんて、睡眠不足のせいでとにかくヤバかかった。この問題は未解決だから、プライベートルームがある部屋に来年頃に引越し予定。家賃は高くなるけど仕方ない。



何回も何回も何回も

「もうヤダ。日本なら......」

この言葉が頭を過ぎった。




先月イタリアとオーフス(デンマーク第2の都市)旅行から帰ってきて、次第に気持ちが穏やかになってきた。他の国や街を見たのと、気分的にリフレッシュできたおかげか、コペンハーゲンを良い意味で相対的に見れるようになったのかもしれない。


今更当たり前だが、気づいたのは...

そもそも、比較自体がナンセンス。

天気も行政も今住んでる寮のことも、デンマークの悪い部分を日本の良い部分、そして今の自分の環境と日本でのそれを比べたところでその先に何かあるわけではないし、SNSSkypeで友人に愚痴を漏らしたところで僕自身の気持ちが晴れるわけでもない。愚痴を聞いている友達も良い気分はしないはず。結局、誰も幸せにならない。こんな非生産的なことをするくらいなら、逆にコペンハーゲンデンマーク、そしてここに住んでいる人たちの良いところを見つけたい。地理的にはちっぽけだけど、この国には僕が知らないまだまだたくさんのことがある。この国には面白い文化がある。人々のライフスタイルがある。デンマーク人を見ているだけで、僕自身笑顔になれることが多い。こういう部分をもっと探すべきなのだ。


ここ数週間、

「僕ってDanesかぶれしてきてるな」

っていうことがよくあって、そのうちの一つが外でコーヒーを飲むこと。コーヒー片手にキャンパスの紅葉とコペンハーゲンの淀んだ空を眺めながら、様々なことを考える。少し嫌なことがあっても、30分のコーヒーブレイクがそれを僕の心の中でそれを和らげてくれる気がする。こんな贅沢な時間の過ごし方は日本にない。完全にDanesになりきるのは不可能だし、そのつもりもない。でも、自分の性格に合うような彼らの良いところはどんどん探し、真似して、とことんDanesかぶれして日本に帰国しようと思うからどうかよろしく。


大学では「異文化コミュニケーション」、「グローバルコミュニケーション・ストラテジー」等々たくさんの異文化適応などに役立つ講義を日本を去る前に学んだが、結局、言うは易し行うは難しで、たとえ「異文化」についての多くの理論を理解し、授業中どんなに議論しても、いざ自分の知らない文化に触れた時はやはり幾ばくかの困惑、不満そして葛藤のようなものは心の中で感じるのだ。「観察」→「受け容れる」という領域に達するまでに約1ヶ月かかった。でも、それでもいい。時間しか解決できないことだってある。


もっと、強くなろう。そして、残り8ヶ月を素晴らしいものにしよう。


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写真は、かのコペンハーゲン1有名な学生寮、Tietgenkollegiet(通称: ティットゲン)ここに座って飲むコーヒは格別。空が北欧って感じでしょ?

イタリア旅行記

ただの自己満足をどうしても残しておきたくて、ここに書いてみる。



先日、イタリアからデンマークに帰国。今まで海外行って帰国する場所は当然日本だから、旅行終わって日本に帰らないってなんか不思議な気分。

10月9日から13日まで4泊5日でイタリア北部(主にミラノ、コモ、ベローナ、ベネチア)へ観光・ダブリンで知り合った友達と1年ぶりの再会を兼ねて一人で行ってきた。ダブリンのことやそこで会った友達については前回書いたブログを参照してね。http://banrihayashi.hatenadiary.jp/entry/2015/10/05/212702


DAY 1

基本的に旅行する時、僕は明確に計画を立てない。にしても、今回の無計画さは半端なかった。飛行機のコペンハーゲンベルガモ間の往復のチケットをbookしただけで、移動手段としっかり4泊分の泊まる場所すべてを決めないまま出発。

飛行機出発3時間前に、KUのパソコンルームでミラノの地下鉄マップとその他地域のグーグルマップのコピーを必要最低限印刷していた僕は完全にアホだ笑

コペンハーゲン空港からイタリアのベルガモ空港までは約2時間。

飛行機を降りて、まず最初に鉄道と地下鉄で真っ直ぐに向かった地はミラノへ。

ミラノへ行く道のりで、ちょっとしたエピソードが。

少なくとも僕が旅行したイタリア北部には、大きい駅を除いて、高速鉄道や普通の電車だけが通ってる駅大抵改札がない。その代わり、チケットに日付と時間をチェックインの証拠として印字する緑色の機会があるんだけど、イタリア初体験♂(意味深)だったし、上記の通り旅行のリサーチなんてほとんどしてなかったから電車の乗り方なんて知るわけなかった。

完全にやらかしたんだな、これがwww

後日友達に聞いた話によると、チケットをチェックインせず乗ると罰金50ユーロ(約6750円)を課せられるらしくて、そんなことも知らない僕はオンボロ鉄道にNoチェックインで意気揚々と乗車。

「あれ、改札ないね。でもチケット持ってるからいっかwww」って感じに。

電車に乗って外を眺めてたら、車掌さんが歩いて来て、イタリア語で「チケット見せて」って言ってきたわけですよ。勿論、僕はドヤ顔で印字無しのチケットを見せたら、

車掌さん「◎△$♪×¥●&%#?!!!!(イタリア語)」

ぼく「ファッ???Do you speak English?」

車掌さん「◎△$♪×¥●&%#?!!!!!!!!!!」


ミスコミュニケーション半端なかった。イタリア語で挨拶と1~10の数え方しか知らない僕には酷だったな。親切にも、僕の向かいに座っていたおじさんが「You need a stamp」って教えてくれたから、漸く状況が飲み込めた。どうなるのかなあって思っていると、チケットにペンで日付だけ書いて去っていった。

今回は幸運にも外人パワー(僕はイタリア人ではないから、知らないことや悪意なくやってしまったことは咎められないということ)が効いたから良かったけど、気づかないうちに社会的規範、最悪の場合、法を犯すことがあるから気をつけろよっていう良いレッスンになった。



こんなこともありながら、ミラノ到着したのは夕方。そこから一人で散策。

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ドゥオーモ駅から出た瞬間、思わず一人で歓声をあげてしまった。翌朝もこの場所に来たんけど、ミラノドゥオーモは夜の方が迫力があって美しい。因みにミラノエキスポの期間中ということもあって、夜9時半頃にも関わらず人多かった。

人の多さに圧倒されながらも、少し街を歩いて泊まる場所へ帰った。因みに、今回初めて使ったAirbnbで泊まったところのホストがなんと日本人!美味しいお酒とハムをご馳走になった上に、ホストのEishiroさんがイタリアに渡った経緯や、僕がコペンハーゲンに留学している理由等々濃い話ができて本当に良かった。Eishiroさんお世話になりました。


DAY 2

翌朝、1年ぶりに最初に再会した友達は、ミラノガールElenaちゃん!

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彼女は元々日本食loverで日本に少し興味がある+僕が日本人ということもあって、語学学校内外関わらずよく話していた。性格がすごく良いし、どちらかと言うと控えめな性格。さすがElenaちゃん!専攻が観光学なだけあって、3時間でたくさんのところに連れて行ってくれた。ガイドもすごく分かりやすかった。

連れて行ってくれた場所の中でも、Milan Duomo以外で綺麗だったのがArco Della Pace

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Photo by Elena

どっしりとした佇まいと、この天気が最高だった。


別れ際に、「次ミラノ近郊でどこ行ったら良い?」っていうノープランな僕の質問に、Elenaちゃんの「Lake como(コモ湖)は?」という提案で早速GO!

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この湖見ながら飲んだHeinekenは格別だった。特に目につくものがあるわけじゃないんだけど、週末息抜きしたいなっていう時にドライブに来たいところ。

一時間かけてミラノに戻り、高速鉄道でベローナへ。駅からゲストハウスまで徒歩15分もかからないはずなのに、道に迷った挙句、ゲストハウスの場所が超絶分かりづらかった(看板がなかった)ので結局1時間もかかって到着。流石に、どうしたらいいかわからなくなった時、ゲストハウスに電話したら、brokenな英語だったけどおばちゃんが親切に近くにある建物を教えてくれた。ナイトウォークする予定だったけど、重いバッグパック背負って一日中歩き回ったのと、やっと寝る場所にたどり着いたという安堵感のおかげでシャワーも浴びずに8時間爆睡。



DAY3

そして、翌朝見た景色がコレ。

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ベローナアリーナ。10ユーロ払って入場したのにまさかの中身は工事中wwwwwお金払った後に「今工事中だから、アリーナの中心部には入れないんだけどね(ニッコリ)」って受付のお姉さんwwwwww


「それ先に言えや!!!」


チケットちぎられたし、「やっぱ、いいっす」なんて言えなかったしな。お姉さんの陰謀によって、僕はまんまとハメられたのであった。中の写真は残念すぎるからあえて貼らない笑

一人で一眼レフ片手に歩き回っていたら、友達に「早く来いよ」と言わんばかりのメッセージが来ていたので、ベローナの街を散策せず、高速鉄道に乗ってPadova駅へ。電車降りたら待っていてくれてた、このカップル(RiccardoとSara)が。駅のホームに人はたくさんいたけど、すぐにこの二人を見つけることができた。言葉ではうまく言い表せない、彼らの暖かくて優しい雰囲気といい、笑顔といい、1年前と全然変わってなくて、なんだか泣きそうになった。

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嬉しいことに車で迎えに来てくれていて、Riccardoの運転でフードフェスに連れて行ってくれた。

因みに上の段3つと、真ん中の段の左から1つが前日のミラノで食べたもの。それ以外がこの日のフェスの屋台で食べたもの。フェスで食べたハムandチーズサンド的なやつとニョッキが特に美味しかった。やっぱ、チーズ最高っす。

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どこの国でも"屋台 is justice!"なのかな。安いし、美味しいし。そして、食文化の観点から改めてイタリアいいなって思った。


その後は、Cittadella(チッタデーラ)へ。AD13Cからあるこの市街地は高い壁に囲まれていて、学割で3ユーロ払えば、この壁を歩かせてくれる。KUの学生カード召喚できて良かった。中に入るために10ユーロの捨てたベローナアリーナの1000倍得した感じ!この日も天気が良くて、景色が最高。雄大だね。

その後は、グラッパで有名な橋の近くのバーで、ビールとグラッパをRiccardoの日本LOVEな友達と一緒に飲んで、帰りにピザを平らげた。

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今まで食べた中で一番美味しいピザだった。そこでもまたRiccardoにビールを一杯飲まされて…因みに、日本だとお酒飲んだら運転できないけど、イタリアではビール2杯程度ならOKらしい。彼の性格は穏やかなのに車の運転少し荒い+この時お酒入ってるから帰り道怖かった笑


DAY4

当然、翌日2人とも見事に寝坊して、1時間に一本しかない電車を逃し、お昼くらいにベネチアに到着。



ずっとあこがれの街だった。数年前から「いつかこの美しい街に旅行できたらな」って思っていたから、こんな形で僕の小さな夢が実現するとはつゆにも思わなかった。幸運なことにこの日も天気が良かった。

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Riccardoと2人、無言で歩きながら僕がふと考えていたのは、世の中にはたくさんの贅沢があるけど、迷路みたいなベネチアを1日中歩いて、2ユーロでサンドイッチとワインを飲みながら運河と建物に隠された狭い空を眺めて……こんな贅沢な時間の過ごし方なんてそうそうない。僕には観光客向けの高いレストランに行く必要も、高価なものを買う必要もなかった。ただそこにいるだけで良い。本当に時間の流れが不思議な場所、それがベネチア

そうこうしているうちに夕方に。


最後に再会を果たした友達は、Carlotta(キャロッタ)。

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僕すげえ顔してるな笑 僕とそんなに年の差無いように見えるけど、こう見えてまだ18歳のJK!去年初めて出会った時、同い年か1つ下かなーーーなんて思ってたら、4つも離れてたからなんか衝撃的だった笑 僕がこの子を大好きな理由は、英語がうまいだけじゃなくて話す言葉にセンスがあるんから。ユーモアであったり、人を元気付ける言葉だったり。そして、やっぱりね、僕みたいに大らかな大雑把な部分を持っているのがなんか共感出来るんだよねwwwww

Riccardo、Carlottta、僕の3人でスピッツ飲みながら、話してた。勉強の話、将来の話、そして、もう一度ダブリンに戻るのか......2時間なんてあっという間だった。時間なんていくらあっても足りないんだろうな。お別れの時、Carlottaが今にも泣きそうな顔で"I’m trying not to cry. Don’t say anything(今泣かないようにしてるの。何も言わないで)"って言ってきた時は、もうね。そして、何故か持ってたをタバコくれた。


今禁煙してるのに、ありがとうwwwww


おかげで涙が引っ込んだ。

そうは言ってもRiccardoと一緒に家へ帰る途中、どうしても涙を堪えることができなかった。あこがれの国を訪ねることができた幸福感、1年ぶりに時間と距離を越えてElena, Riccardo, Sara, Carlottaの4人に会えた喜び、もうお別れするんだっていう悲しみ、そして、次はいつ会えるんだろうっていうある種の不安で複雑な思いだった。1年前にダブリンで彼らと別れた時と同じ感情。何歳になっても自分は泣き虫なんだな笑


この夜は、僕のイタリア最後の夜ということもあって、Riccardoのお母さんが僕のリクエストに応えてカルボナーラ作ってくれてた。カルボナーラ、チーズ、赤ワイン…イタリア人の家にホームステイにして、しかもイタリア料理を堪能できるなんて本当に幸せだ。

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これがRiccardoファミリー。Riccardoパパと弟は英語が話せるから英語で普通に会話できたんだけど、ママがすごくチャーミングで一生懸命イタリア語で僕に話しかけてくれた。


FINAL DAY

最終日、この日は空港への移動のための日だった。ベルガモへ向う電車の中、雨が降るグレーの空を眺めながら、コペンハーゲンでの生活のこと、このイタリア4日間のことをずっと考えていた。勿論友達との別れはすごく辛かったけど、僕の心は満たされていた。大学の1週間のバケーションがあると知った時、飛行機のチケットをすぐに予約してイタリアに飛んできた。今僕が住んでいるコペンハーゲンの寮は1つの部屋を2人でシェアして生活しているから、一人の時間を見つけるのが大変で、とにかく一回コペンハーゲンから離れたかった。変なものを勝手に抱え込んで息苦しくなっていたのかもしれない。

コペンハーゲンとは違う時間が流れているところで一人で考えたかった。その選択がかつてからのあこがれの国であるイタリアだった。飛行機代を考えれば、イギリス、ノルウェーを選んだほうが正直安くついたはず。ドイツやスウェーデンはバスや電車があるからもっと安く行ける。でも、わざわざ高いお金払ってまでもこの国に来たかった。Riccardoが連れて行ってくれた観光客が行かない(行けない)ようなところに興味があったし、一番はイタリア人の生活に触れたかった。

イタリアという事実上、僕にとって初めての非英語圏旅行だった(デンマークではかなり英語が通じるから)。しっかりと旅行に関するリサーチはしなかったけど、行く前にイタリア語を少し勉強して行った事はすごく良かった。というのも、挨拶、自己紹介、数(1~10まで)を覚えるだけで、自分に対するイタリア人の反応がかなり良くなったと感じたから。例えば、Riccardoの家族に"Good morning"と言わずに、僕の拙い発音で"Bongiorno(おはよう)"って言っただけで"Bravo"ってすごく喜んでくれた。あと、物を買った時とか、数を覚えていたおかげでお金の支払いが割とスムーズに出来た。ほんの些細な事だけど、彼らに受け入れられた感じがして僕もすごく嬉しかった。だから、言葉って大切なんだな。


旅行中、コペンハーゲンでの生活についても思いを巡らせていた。

デンマークに来て以来、国民の幸福度についてもう考え始めているんだけど、イタリア来て分からなくなった。デンマークは高税率高福祉が国民の幸福の高さに貢献している一つの要因。経済もそこまで悪くない。一方、イタリア未だ失業率の高さに喘いで、労働市場の外にいる人がたくさんいる。ElenaもRiccardoも「未だにここで仕事を得るのは大変だよ」って言ってた。それでも、彼らが電車の中やベネチアでもカフェでコーヒーを飲みながら、嬉しそうに話したり、大声で笑っていたりする人はたくさんいて…なんだか、僕まで嬉しい気持ちなってしまったな笑

人々にとって何が幸福なのだろうか。経済的な要因、例えば、富の再分配、ジニー係数、一人当たりGDP...色んな指標があるけど、こんなものだけでは根本的な何かを見失ってしまう。深い意味での幸福を知るために、もっと人の生活に根ざしたものを考えないといけない。イタリア人を見ながらこんなことを考えていた。


僕は国民の幸福度が世界一高い国と言われているデンマークに住んでいる。エコノミクスの観点以外からもDanesたちをもっと知りたい。完全に彼らになりきるのは無理だし、そうしようとも思わない。でも、せっかくこの素晴らしい国にいるから、せめて彼らの心を理解できるようになりたい。彼らの中に入っていきたい。

もはや、イタリアとあまり関係ない話になってるけど、ベルガモへの電車でこんなことを考えていた。今後のコペンハーゲンライフが楽しみだ。残念ながら、楽しかったこと考えた事を全てここに書けないし、そうしようとも思わない。未成熟だけど、本当に大切な部分はまだ自分の中にしまっておこう。それが成熟した時、いつか自分の考えとしてこのブログで公表できるといいな。


最後に、僕に会ってくれたElena, Riccardo, Sara, Carlotta、二日間お世話になったRiccardoファミリー、お金を出してくれた僕のパパママありがとう。


イタリアンの友達よ、今度は日本かコペンハーゲンで会うのを楽しみにしてるね。

Grazie Mille! Ciao ciao :)

Why Copenhagen?〜コペンハーゲン留学に至るまでの理由とそれまでの自身の英語力

タイトル超長い。本文も長く書いてみるぜ。回顧録的(時系列)に書いているから、留学に至るまでの話と英語力の話がミックスされてるけど、悪しからず。


去年の今頃は何してただろう。


そうだ。福岡でのIELTS受験を終えて、交換留学に応募するためにAPUでのIELTSとTOEFL ITPの学内受験に備えていた頃じゃん。懐かしい。授業が始まってすぐの頃は日々の勉強と、IELTSの勉強の両方をやるのは正直ハードだった。と言いつつも、大学内にあるSALCという英語教育機関でチューターとして偉そうにTOEFLのグラマーを後輩に教えながら、実は自分はTOEFL ITPの勉強をほとんどしてなかったのは内緒な

IELTSとTOEFL両方交換留学応募に十分なスコアを持ってなかったし、当時(10月上旬)、応募締め切りまでにそんなに多くの時間がなかったから少し焦ってたかな。




さあ、本題に入ろう。

この国に来る前、そして今もよく聞かれる質問、

仲の良い友達や初対面のデンマーク人には「何を勉強しにコペンハーゲンデンマーク)に行くの/来たの?」、「アメリカ行きたいんじゃなかったの?」って聞かれるので、今更感すごいけど、僕がコペンハーゲンに至った経緯を長々と綴ってみる。



北米留学への憧れ

元々、塾に通って英語を少しだけ勉強していたことがあったのと、地元の中学校と市の共同プログラムで中2の夏(2007年)に3週間バンクーバー(カナダ)にホームステイした経験がきっかけで、大学入る前から北米(特にアメリカ)に留学することに憧れていた。全く英語が話せない状態でバンクーバーに行って、見たもの聞いたものとにかく全てが僕にとって新鮮だった。あと、字幕・音声吹き替えなしで、ホームステイ先のテレビで映画"Back to the future"見て、「この映画を字幕吹き替えなしで絶対理解できるようになる!」っていう謎のパッションもあったな。実はこれ、7年後(去年の夏)に実現するんだけどね。

その頃から大学生になったら一年間は、アメリカかカナダで留学したいなって。

でも、大学入るまであんまり英語を勉強しなかった。中学高校の英語は正直ずっと良い成績もらってたから、どういうわけかspeakingをそんなに勉強しようと思わなかった。僕の出身は田舎で、東京と違って英語を話す外国人なんて全くと言って良いほどいないんだよね。英語に触れる機会なんてなかった。多分、それが理由。英語を勉強するモチベーション以前に、外国人がいないから話そうと思うことさえなかった。英会話に1年間行かせてもらったけど。目的意識を持って勉強していなかったから全然伸びなかった。


いざ日本で通っている大学に入学してみると、アメリカとカナダの交換留学の協定校が多数!でも、カナダはとにかくlanguage requirement(IELTS、TOEFLの語学スコア)が当時英語がほとんどできない大学一回生だった僕にとって、かなりキツかった。TOEFL ITP570点以上、IELTS7.0とか。ちなみにIELTS7.0取れたらアメリカ、イギリス、カナダとかの英語圏の大学院に入学できるかもよっていうレベル。 週1の英会話を除いて実践的な英語をあまり習っていなかった僕に、こんなlanguage scoreは夢のまた夢だった。大学の英語のクラスは英語は準中級(下から2番目のレベル)クラスからスタートし、一番最初に受けたTOEFL ITPはパッとしない483点、会話はロクにできないし(挨拶自己紹介が精一杯なレベル)、頑張って話した時点で発音が悪すぎて友達に理解してもらえない、英語の先生が言ってることなんてさっぱり分からなかった。こんなレベルからのスタート。


とにかく応募

結局、大学1年生の秋にアメリカのSt. Edwards大学(TOEFL ITP 500点)に申請し、書類選考(日英両言語で記入)は何とか通るものの、グループ面接で爆死。個人で2分間志望理由を話す時間を与えられたんだけど、1分くらいで終了!グループディスカッションにはついていけず、ほぼ何も話さず終了ーーー!オワタなと思ってたら、結果は勿論不合格。スピーキングできないから当然の結果だった。実力不足なのは分かってたけど、惨めだった。まあ、うちの大学の交換留学の選考はかなり厳しいはず。日本の錚々たる大学(T大、W大、R大)からKUに来ている他の日本人留学生に聞いたら、「普通に書類書いて面接ちょっと受けるだけで通ったよ」ってみんな言ってる。いやいや、それは...日英両言語でびっしりエッセイ書いて、おまけに面接は英語で圧迫面接。まあ、APUは留学生たくさん受け入れているし、送り出しているからそういうところでプライドがあるのか。


人生の転機となったDublin

大学2回生の夏、交換留学の準備段階として親に頭を下げて、IELTS受験に備えてダブリン(アイルランド)の語学学校のIELTSコースにて、6週間の短期留学をさせてもらった。

これがすごく良かった!

何せ、最初に入ったクラスに日本人は僕だけ。8/11人がイタリアン、あとはブラジリアンとウクライナ人、日本人は当然僕だけっていう面白い環境だった。最初はどうしていいかわからなかったけど、授業で必ずディスカッションしてたし、彼らと話さない選択肢がなかった。授業外でも可愛いイタリアンの女の子(過去の僕のFBの記事漁ったら多分誰か分かる)に話しかけよう、とにかくジョークを言って笑わせようとがんばってその子に英語で話してたらスピーキングが伸びたよね。改めて確認した。エ○のモチベーションは凄い。勿論、理由はそれだけじゃないないよ。ディスカッションしたら、必ず先生に意見を求められていたし、毎週金曜日までにスクリプトまでしっかり用意して、先生とクラスメイト全員の前でスピーチしてたし、その後先生から文法や表現のミスの指摘。沢山ミスを指摘されるのが嫌だったから、なるべくミスを少ない英語を話そう夜遅くまでスクリプト作りして、ホストマザーにも英語を聞いてもらったり、とにかくやるだけのことした。6週間なんてあっという間だった。

それと、授業内外でヨーロピアンと関わるうちに彼らの価値観や文化を学ぶことができたのも、僕がコペンハーゲンを選んだ大きな要因といっても過言ではない。

みんな同じだと思ってたヨーロピアン。でも、国別に文化や価値観に色があって、そして国だけにとらわれず個人も知ることができて...それが良かった。日本の大学(APU)では主にアジアの留学生としか交流がなかったから、もっとヨーロピアンと彼らの文化をもっと知りたいって思い始めたのが、ヨーロッパに留学しようと決めたきっかけ。


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最初の3週間共に頑張ったクラスメイトと先生2人


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最後の3週間お世話になったアシュリン(先生)と。

ダブリンにいた時は、夏だったから日没時間が遅かった。夜9時なのに外はまだ明るくて、Penny(スケボー)を公園で乗って、夕日を見ながら、一人で色んなこと考えごとをしたな。「なんで北米に行きたいんだろう」、「アメリカで何勉強するんだろう」って。どんなに考えても、明確な答えがでなかった。何より自分がアメリカで交換留学してる姿を想像できなかった。その当時の、本能的な勘でヨーロッパで勉強する方がしっくりきたんだよね。あと、留学行くのに、周りが英語圏に行くから、どうせ行くのなら他の人が行かないところに行きたかった。

APUの海外大学提携リスト見ると、世界中でかなりの数の大学と提携しているんだよね。北米の提携校と比較してもヨーロッパの提携校の方が群を抜いてレベルが高かったし、学術的に評判がある大学の数も多かった気がする(勿論、北米にも良い大学あるよ!)。デンマークで言えば、僕が今勉強しているUniversity of Copenhagen(KU)あとCopenhagen business school(CBS)、スウェーデンだとUniversity of Lund、イギリスだとCardiff University, University of Westminster...他にも調べたらまだあると思う。KUとCBSを迷って結局は前者を選択。

決め手は、経済学を政治学や社会学的観点から学べるのがKUだったこと。総合大学の特権だよね、色んな学問を学べるっていうのは。CBSビジネススクールだから、経営・経済学にフォーカスされてる感じ。日本にいた頃も、安全保障(領土、安保法制)、憲法、移民・難民問題、日本の経済不況、暴力団、教育問題(とりわけ英語教育)等々の色んな社会問題に関心を持っていたから、勉強するのならもっと広い視点かつ国家制度的な観点から経済学を見たかった。

このセメスターは、ユーロ経済学とデンマーク社会福祉モデルを履修中で、授業がキツ過ぎて死にそう。また、履修中の科目については他の記事で言及しよう。

話を戻すと、交換留学リストを見てKUのlanguage score(ITP550で仮決定、IELTS 6.0でパス)を見たら、なんとかなりそうなレベルだった。だから、どうせ行くならKUにしようと。前年度に留学の申請で落ちてたから、今年は言語ではケチつけられないようにしようと思ってscoreはTOEFLとIELTSの2つ出した。多分、応募者の中でも僕みたいな人はマイノリティだと思う。まず、IELTS受けること自体が面倒(金銭的・時間的コストが大きい)だし、IELTS受ける人は残念なことに何故かTOEFL捨てる傾向にあるからね。どうせ、学内受検で強制的に受けなきゃいけないから、受ける時はちゃんと受けようと僕はいつも思ってた。大学を決定してるうちに福岡で受けたIELTSで幸いに6.0を取り、10月にほとんど勉強せずに受検したTOEFL ITPで560(自己最高点)をマーク。


そこで思ったのは、IELTSの勉強だけでもTOEFLも伸びるんだなと。まあ、そうだよね。英語の総合力(Listening, Speaking, Reading and Writing)を鍛えるんだから。

語学スコアがのお陰で自身が付いた。

これで両方のscoreが出せる!これはイケるかもしれない!!!!!

ってね。

そんなこんなの経歴や理由があったのと、両親や友達、先生そして、周りの方々の支えがあって今ここにいるんです。

長々と読んでくれてありがとうございました!今日はここまで。留学の申請・申請途中で大変だったことについてもまた別の記事で語るのでお楽しみに。


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スケボーしながらダブリンのホームステイ先の公園で見た夕日。この頃に戻りたい。

身の丈。

前の記事を書いて、たくさんの方からFaceBookにコメント、メッセンジャー等で直接メッセージを頂きました。ご心配おかけして申し訳ない気持ちと同時に、励ましてくれている仲間が世界中にいることに感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうこざいます。


この授業が始まって1ヶ月経過。専門科目に対する自分の知識が無さすぎてすぎて、授業よっては教授の言ってる内容がほとんど分からない状態。院生もレベル高いから、彼らと少し話しても議論の内容が高度すぎて、英語云々以前にトピックが理解できなくて、会話に全然ついていけない。日本語でも同じことするのはかなり厳しいのに。況や、英語できるわけない。特に、このセメスターでEconomics of the European Unionはヤバくて、マジでこのままいったら確実に単位落とすから笑えない。

「自分って本当に勉強不足なんだな」って痛感した1ヶ月だった。


ずっと、自分が馬鹿なこと、今まで努力不足だったことに目を背けていた。そして、日本で通っている大学のカリキュラム上、多少英語で講義を受けていたことを心のどこかで鼻にかけていたんだと思う。甚だ傲慢だよね。



でも、逆にそれに気付けて良かった。本当の自分の身の丈が知れて。自分の傲慢さにも気づけて。日本から出ないと絶対に分からなかった。日本ではスーパーグローバル大学(笑)の1つっていうところに籍を置いて、そこそこの成績とって、現状に甘んじて、空っぽの4年間が終わってしまうところだった..... (※自分の大学と特定の学生を批判しているわけではない。頑張っている人がたくさんいることは知っているし、自分の好きなことに必死に没頭している人も知ってる。僕は自分に甘い人間だから、居心地の良い環境にすぐ甘えてしまうと言いたいだけ。実際、僕は自分が日本で通っている大学が好きはあと。)

ここに来る直前、とにかく全力でいろんなことに没頭していた。前のセメスターは筋トレ、バイト、ゼミ、TA...死にそうだった(実際に授業中死んでた)けど、やるべき勉強もしていたからそこそこの成績取れて、自分なりにベストを尽くしたつもり。でも、大学入学以来、英語力や自分の学業の成績(GPAやグレード)以外で自分を他人と良い意味で比較し、「自分よりすごい人を目標に頑張ろう」、「彼らと切磋琢磨しよう」っていう精神を徐々に忘れかけていた。だから、自分の学業に自信が持てなかったし、ここに来てただただ他の学生に圧倒されているだけだった。


What is your major(study)?/専攻は何?


これは、デンマークで自己紹介したらやたら聞かれる質問。職業を「大学生」って名乗る以上どこに行っても聞かれる質問であるはずなんだけど。ここでは具体的に掘り下げられるんだよね。例えば、「国際関係」と答えれば具体的にどの分野について勉強しているのかと。安全保障なのか、紛争解決なのか、外交政策なのか。ここ1ヶ月キャンパスで過ごした感じ、デンマーク人とって大学名(ネームバリュー的な意味で)はあまり重要ではないらしい。一番重要なのは、「何をやっているのか」ということ。肩書きなんて重要じゃないんだよね。本当に自分のやっていることに確固たる信念があるのかと確認するための質問なんだろうな。

日本の大学での専攻はFinance(金融)と自己紹介で言っている。でも、今の自分の知識の量・金融に対する知識や思考力を冷静に振り返ると、自信を持って自分の専攻について堂々と語ることができるのか自問した時、そこに100%の自信はない。英語で大学院生と話した時、自分がやってきたことで中身のある議論が起こせない。1分間語るくらいで終わってしまうだろう。

自分って学問的に未熟なんだなと思った。卒業前、そして就職前に気づいて良かった。ここ最近、良い意味でも悪い意味でも自分を批判的に見れている気がする。少し、ドライな感じもするんだけど。文面的にはすごくネガティブに捉える人もいるかもしれないけど、僕自身は結構ポジティブ。冷静に自己分析ができたのだから。まだ少し辛いけど、文書にすることで少しすっきりした。


色々挫折を知った9月も終わりそう。そろそろ10月か。また、ゆっくりと離陸しよう。


写真は僕の寮から見える夕方の景色。綺麗でしょ。笑っても泣いても、1日はこうして終わるんだよね。

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ストレスとホームシック

コペンハーゲンに来てすでに一ヶ月経過。

もう、一ヶ月かっていうのが正直な感想。木の葉は段々と色を落とし、風が冷たくなってきたコペンハーゲン。季節はすでに秋で、最高気温は17度くらいで寒ければ最低気温は10度を下回る。来た時は、夜9時でもほんの少し外は明るかったのに、7時半くらいには日没。

日照時間が最短になる12月は日の出が8時半くらいに日の出で、日没は3時半くらい......精神的に耐えられるんだろうか。日照時間はとても大切で、デンマークでもこれが短くなるほど、精神的にやばくなる人、つまり、depression(鬱)になる人が増えるらしい。北欧やイギリス、アイルランドに留学している人は冬の日照時間の短さや天気の悪さ本当に気をつけないとね。



最近、常に思うのは、

1つ目

とにかく、日本が恋しい。


勘違いしている人がいるかもしれないから一応言っておく。今まで3回海外(Vancouver、Toronto、Dublin)に行ったことがあるが、どれも短期滞在、Dublinのが最長一ヶ月半なもので、これら全て合計しても三ヶ月と少しくらい。事実上、今回のコペンハーゲン留学が初長期海外ステイ。だから、日本で通っている大学の特性上(留学生が多いから、その分海外の文化に触れる機会がある)、いくら海外かぶれしている、乃至は外国の文化に慣れているように見えても、異文化適応能力はそこまで高くない自負してる。


一番恋しいものは「日本食」

1日3回は食べ物が口に入るんだから、食事はかかなり重要。とりわけ問題なのは、まともなお米が存在せず、日本食を作るための調味料が異常に高い。例えば、500mlのキッコーマンの醤油なんてここでは1000円!そういうわけで、自分でsomething Japaneseを作ろうと思っても、お金はかかるわ材料はないわで厳しい。あまりの日本食恋しさにスモークサーモン(そこそこの大きさのものが450円くらいで手に入る)を使ってサーモン寿司作ったけど、世紀末レベルで不味かった。

そういうわけで、母親に調味料の輸送を懇願し、月一で安い日本食レストランに行こうかと考えている今日この頃。「自炊は?」って聞きたいんでしょ?ええ、してますとも!料理留学してるんじゃないかっていうくらい日本にいる時よりもご飯作ってる笑



2つ目

運動不足


コペンハーゲンの自宅から大学までの通学は基本的に自転車。日本では週2で必ずジム通いし、ロードバイク40kmは一回のライドで乗っていた僕に家と大学を自転車で往復するだけを運動とは言わない。

ジム行けばいいじゃん!って思うかもしれないけど、まだCPRのカード(在留カード的なもの)がないから、ジムのメンバーシップにもなれないし、スマホも契約できない。身体を動かさずにじっとしていることがとてつもないストレスで、日本にいた時より身体能力は衰えた気がする。そのせいか、咳喘息にかかり、2週間くらい経とうとしているのに未だに完治しない。


3つ目

思ってたほど友達が出来ない


一つ目の日本が恋しくなる最大の原因がここにあると言っても過言ではない。「日本の大学の友達に会いたい」って最近頻繁に思う。これは僕だけじゃないはず。コペンハーゲンで僕がとっている授業はいろんなヨーロッパの国々の学部生と院生が混在しているんだけど、ヨーロピアンは基本的に冷たいのかな。それかこれが当たり前で、去年Dublinであったヨーロピアンたちがフレンドリー過ぎたのか。日本で発揮していた自分のコミュ力(笑)はどこにいったんだろう。挨拶とちょっとした会話くらいなら普通に話すんだけど、「週末一緒にどっか行こう」とか、「時間があればご飯食べよう」という雰囲気にはならない。みんな良い意味でも悪い意味でも個人主義的というか。「することあるから、特定の人(本当に仲の良い人)以外、他人にはあまり興味無い」って感じ。僕自身がその特定の人になれば勝ちなんだろう。でも、院生同士共通の授業で一緒になった仲間たちはすでにグループを作っていて、そこに入る勇気はないし、学部生でもグループがあって最初はそこに僕も入っていたけど、彼らとあまり合わなくてそのグループから抜けてしまった。バーで飲むお酒は高いし、大人数のパーティーはあんまり好きじゃないからバーやクラブには滅多に行かない。結局、新歓的なパーティで出会った人とも、授業が被ってないから結局全員と疎遠になってしまった。

幸いに、日本人学生とKUのデンマーク人学生との学生団体、「日本語喫茶」のおかげとKUの他の日本人留学生との絆が強いから救われてる。あと、ルームメイトが日本で同じ大学のAninだから本当の孤独になることはない。みんな、本当にありがとう。


まだ、一ヶ月。もう、一ヶ月だけど、日に日に精神的に辛なってくる。留学とは別に、大学院に進学するか、ほぼ不可能であろう就職を考えるか、帰国後の進路を考えたら本当に気が重い。これはまた別の記事で書くことにしよう。頭の中に考えていることがあまりにも多すぎてうまく情報処理ができていない。支離滅裂な文章なのは悪しからず。


この記事を一通り読み返して思うのが、結局はこれも自分の甘えなんだな。ヘタレだと思う。弱音ばかりで恥ずかしいけど、来年笑って今を振り返れるようにあえてブログで晒し、残しておこう。こんな現状を打破するために、少しstrategyとtacticを考えてみたい。

学ぶってこと。

「勉強って何のためにするの?」

「そもそも勉強して何の意味があるの?」



誰もがこんなことを一度や二度は悩んだことがあるはず。



コペンハーゲンに来てもうすぐ一ヶ月。ここの大学で勉強し始めて約3週間経過。別に自分の留学の意義を失ってしまったってわけではないんだけど、現地の大学生(コペンハーゲン大学日本語学科で勉強するデンマーク人)を見て、「学ぶことに対する姿勢」について再び考えることが多くなった。とりわけ、「自発的な学びとは何だろう」って。今から僕が話すことを少しでも分かりやすくするために、ここで言う自発的な学びとは、「俺、かくかくしかじかが大好きだから勉強してるんだ!」、「これを勉強して将来○○になる」等々、自分の内なるパッションに学びに率直に反映するという定義づけをしておこう。



まず、彼らのモチベーション。



僕のDanes(デンマーク人)の友達の大半はコペンハーゲン大(以下KU)の1回生で、たまーに一緒に勉強させてもらうんだけど、その何人かで集まって勉強している姿を見たらみんな必死なんだよね。彼らの目は真剣で、日本語を早く習得したい、日本に留学したい、日本のことについてもっと知りたい......目標は一人ずつ違うはずなんだけど、時にはキラキラした目で、またある時は真剣な眼差しで僕に日本文化や日本語について質問してくる姿に圧倒されると同時に、モチベートもされる。



彼らのモチベーションはgap year(s)から成るものなのか。

Danesは高校卒業後、大学にストレートに行く人は本当に少ない。つまり、日本と違ってteenagerの学生が全てじゃないってこと。僕の友達のKU一回生のDanesたちも20歳、21歳とか。「あれ、今月入学したばっかりなんだよね?入学前は何してたの?」って答えると、「そうだよ。KUに来る前は、フラワーショップで働いていたし、日本に1年間ホームステイもしてたよー」って。また別の友達は、「デンマークでは高校卒業して1,2年間は自分の好きなことするのは普通だぜ(にっこり)」らしい。





うん、面白い!





高校卒業後、僕みたいに一浪したり、少し遠回りして大学入学する人たちにそれほどポジティブなイメージは無い日本とは全然違うんだなっていうのが斬新だった。何より、「少し遠回り」、「好きなことする」っていうのがDanesたちを自発的な学びに駆り立てているのかもしれない。

一回社会に出て得た様々なことを経験したり、学問の道から一度外れて「本当にやりたいこと」の自己分析をしたことで、勉強や仕事において、彼らは大きなパッションを持ってとてつもないenergyを発揮するんだろう。


「いや、おやじが経営者だから経営学部、経済学部に...」、「○○大学だと就職がいいから...」こんな理由で大学行っているDanesは日本人大学生に比べたら少ない気がする。

友人曰く、デンマークは学歴社会ではないらしい。「自分は何ができるのか」、「どういうことを経験してきたのか(job experience)」ということを重要視される。

「ペーパーのテストではがこれだけできます」、「一流大学出身です」っていうのは問題ではない。正直、未だ学歴社会といわれている日本で生まれ、育った僕にはそれをどのようなことから説明したら良いのか分からない。



「自分のやりたいこと発見し、そのために勉強する。そして、将来はそれを自分の職業にする」




理想に見えるけど、僕のDanesの友達を見ている限り、gap year(s)を経験し、それを生かしながら夢や目標に向かって勉強に打ち込む彼らの姿に心底尊敬する。




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日本語を勉強するDanesたち。

2週間

コペンハーゲンに来てすでに2週間経ちました。


早い。今週から大学も始まって、すでに授業も数回受けているんだけど、専門科目がヤバイ。APUの専門科目と比較にならないほど難しい。というのも、クラスのほとんどがMaster(修士号)の生徒ばっかりだからね。結局とったクラスをドロップして別のクラスを取り直そうと調整中。


日本を出発する直前まで、「万理どこ行くんだっけ?」、「ドイツ留学頑張ってね!」って言ってくる輩がいるから、まだ2週間しかいない僕が生意気にコペンハーゲンについてどんな感じか僕が体験したエピソードも入れながらラフに語ってみる。


1.デンマーク

首都であるコペンハーゲンでさえもほとんどの人はフレンドリー。コペンハーゲンに到着した日、メトロの駅でホステルまでどういっていいか分からなくて困っていると、自転車に乗って颯爽と現れた男の人が"Shall I help you?"だって。他にも、デンマーク語が読めなくてどこのバス停でバスを降りたらいいか分からない時に、老夫婦に聞いたら、親切にいろいろと英語で話しかけてくれて、さらに、おじいちゃんが、「私たちは先に降りないといけないから、この人を○○っていうバス停で降ろして上げて」という趣旨のことを子供連れのお母さんにお願いしてくれたから、無事に今の家にたどり着くことができた。とにかく、親切な人が多いっていうのが印象的。人種差別あるかなと思ってたけど、今のところ僕はひどい目に遭ってない。今まで何人かデンマーク人と仲良くなったけど、みんなとにかく友達・仲間って意識が強い。「一緒にビール飲んだら、友達だぜ?」って感じ。デンマークで気をつけないといけないのは、デンマーク人は酒を水みたいに飲むこと。ビール5、6杯グラスで飲んでもケロっとしていて「まだまだこれから」って感じなのはさすがに引いた。あと、デンマーク人のイケメンと美女率の高さ。今まで、カナダ(バンクーバートロント)とアイルランド(ダブリン、ゴールウェイ)に行ったけど、この2ヶ国に比べてコペンハーゲンは半端なく美女が多くて、毎日本当に目の保養。なんか、自転車で信号待ちしてて、目があったら微笑んでくれるお姉さんいるし。期待は裏切れないから、僕はウインクで返す。そして、みんな背が高いね。170cmない僕はデンマーク人と話すとき見上げるようにして話す笑。


2.物価

はっきり言って、購買意欲が失せるレベル。大体1DKK=18.5JPYなんだけど、地下鉄とバスは一律24DKKで自転車とかも中古で1000DKKするのが普通。特に、外食は異常で500円以内では満足に食べられないのが当たり前。ケバブやマクドナルド、ケバブとかのファーストフードでも普通にセット頼んだら1000円以上はするだろうね。果物とか野菜は意外に安かったりする。でも、コペンハーゲンでいう「安い」っていう感覚は日本のある程度の品質が保証されていて「安い」っていうのと違って、安かろう、悪かろうだからな。アパートについて一人で買い出しに行った時に、マヨネーズやらパンやらを一番安いものを買った結果失敗。どれも本当に美味しくない。話を戻して...物価が高いエピソードといえば、この前マクドナルドでスプライトのLサイズとチーズバーガー頼んだだけで500円。どんだけ高いのよ。というのも、デンマーク最低賃金が一時間に2400円らしいからな。そりゃみんなお金持ってるわ。まあ、コペンハーゲンデンマークの首都だし、ヨーロッパっていうのもあるんだけど、それでも東京に比べて結構BMW、Mercedes、Volvoは走ってるし、フェラーリランボルギーニもよく見かける。ちなみにデンマーク自動車税は280%。


3.自転車文化

僕のDanish cultureで一番好きなところかもしれない。前述の通りデンマークでは自動車税がものすごい高いのと、デンマーク人自体が環境に対する意識が高いから、大雨だろうと、みんなレインコートで完全防備して自転車に乗る。日本の東京ではないと思うけど、コペンハーゲンは大体自転車道が車道の横にあって自転車用に信号機もある。だから、徒歩で信号のない道を横断する時に、必ず自動車と自転車をダブルチェックしないといけない。何回自転車に轢かれそうになったことだか。僕は日本でロードバイク乗ってるぐらい自転車好きだし、普段からすごく速いスピードでバイクするけど、それでもデンマーク人はみんな自転車の速度速いなって思う。僕のデンマークでの自転車はサイクルコンピューターついてないからはっきり分からないけど、速い人は30km/h以上は出してる。それも、コペンハーゲンは街が平坦で心臓破りの坂はないから、少々バイクするのは全然苦痛じゃない。むしろ楽しいくらい。ちなみに、自宅からコペンハーゲン大学のCity Campus(CSS)までは自転車で約10分、South Campus(かの有名なドーナッツ型の学生寮が近くにある、通称アマキャン)までは約25分くらいでいける。



続きはまたそのうち。

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